発願(ほつがん)

発願

「発願已至心帰命阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」
(ほつがんししきみょうあみだぶ なまんだぶ)

 
「発願已至心帰命阿弥陀仏」とは、心より身命を捧げ阿弥陀仏の教えに従うをもって、事の成功を祈ることを意味し、「南無阿弥陀仏」とは、一心に阿弥陀如来に帰依してその救いを願うことを意味しています。
いずれも浄土信仰における念仏の決まり文句です。当講中では「寄せ太鼓」の後、一山打ちの最初に奉納する演目です。
最初は導師が「発願」と独唱し、他の者は「已至心帰命」より唱えます。片太鼓ははじめぶらりと体の前に下げて持ち、一回目に打った後初めて通常通り小脇に抱えます。奉納先(例えば本堂)の方を向いて立つため、観客に背を向けることもあります。その場合は、次の演目より向き直ることになります。

鉄輪(かなわ)

鉄輪

一山打ちでは「発願」に続いて演じるのが慣例となっている曲です。地歌より取材されており、能楽でも有名な曲です。
「鉄輪」とは、火鉢の灰の中に据えて鉄瓶などを載せる物で、輪に三脚を付けた金属製の道具であり、五徳(ごとく)ともいいます。
 
舞台は九月の京都。夫に離別された女が、元夫と後妻に復讐を企てる物語です。女は鉄輪を逆さまにして三脚に蠟燭を挿し、頭に冠することで望みが叶うという神託を信じ、後妻を呪うことを企てますが陰陽師・安倍晴明によって阻まれます。
当講中の演目で語られるのは、恨みの鬼と化した女が元夫の前に現れて苦しい胸中を述べた後、後妻に仕立てた人形の髪を掴んで打つ場面です。その姿は、幾度も片太鼓を打ち鳴らす演奏者の姿に重なります。
 
この様に記すと、世にも恐ろしい曲の様に思われるかもしれませんが、壬生六斎では、この曲にのみ独自の解釈法が伝わっています。
それは、苦しむ女もまた自らの行いを悔やみ、かつ死後を恐れる者であったとして、聴衆に戒めを喚起させる意図と念仏的に解釈するというものです。この解釈をもって後ろ向きな曲ではなく、むしろ「ありがたい」曲と伝えられ、また、壬生六斎においても最も貴重な曲とされています。

願人坊主(がんじんぼうず)

願人坊主

「そもそもあっちが、とっぺらぼうのずっぺらぼう」
 
常磐津節より取材された、踊りが主体の演目です。
「願人坊主」とは身分としてのお坊さんというわけではなく、主として神仏への代参を生業としながらも、日頃は芸を披露することで施しを求めていた芸人的性格の者であり、基本的には風の向くまま気の向くままにすたすたと、その日暮らしの生活を送る乞食同然の存在のことを言い“すたすた坊主”などとも呼ばれていました。
彼らに焦点を当てたこの曲は、その生き様をあけすけに滑稽味たっぷりに描いたものです。

四ツ太鼓(よつだいこ)

四ツ太鼓

四つの太鼓を木枠台に並べ据えて打つ、壬生六斎唯一の据え打ち太鼓曲です。
講中に入った者は、一番最初にこの曲を覚えます。しかし、初心者だけが出演する演目ではなく、子供から大人まで幅広い芸歴の者が登場し、次々と太鼓を打ちつないでいきます。
曲は、笛だけの導入部である「よびだし」から始まって、次の「オモテ」から太鼓が加わり、ここまでが前段部。
その後「おどり」で後段への橋渡しをして、「オク」以降一人ひとりが順番に同じ節を打ちつないでいき、最後の者が「あげ」て終わるという流れになっています。
他方、「一本ぶち」という曲もあり、こちらは一人で最初から最後までを打つものですが、上述の流れとはやや違った独特の旋律や打ち方となっています。
太鼓の打ち方には両手打ちと片手打ちがあり、また二人向かい合っての相打ちや、枠の周囲を回りながら打つやり方もあります。
 
「四ツ太鼓」は、どこの芸能六斎講にも必ずある演目です。しかし、曲の中身や演出はそれぞれに異なっています。
当講中ならではの特徴として、常に交叉状の順序で四つの太鼓を打つこと、そして、トコトコ「ト」という風に、曲に切れ目が入る(末尾に休符が付く)ことが挙げられます。

越後獅子(えちごじし)

越後獅子

長唄より取材。子供の大道芸である越後獅子を主役に据えた曲です。
前後二段に分かれ、前段を「ドラ」と呼び、後段は「歌」「合方」「さらし」の各部から成ります。
「さらし」の際には、日舞同様に晒布(さらし布)を振る踊り手が登場することもあります。
令和5年(2023)には実に50年ぶりに晒布芸を入れた踊りを披露しました。

祇園囃子(ぎおんばやし)

祇園囃子

祇園祭でもお馴染みの曲に合わせ、棒振りが登場して踊りを披露する演目です。太鼓方も踊り回るのが特徴です。
本項は近日中に詳しく解説いたします。

四季(しき)

四季

義太夫節「花競四季寿(はなくらべしきのことぶき)」より、夏の曲「海女」の一部を抜粋して取材。
原曲は「海女(あま)」と言いますが、当講中の別演目である「海士(あま)」とは全く異なる内容で、こちらは浜辺に佇む若い海女さんが、近頃つれない彼のことを想っている恋の歌です。

手毬唄(てまりうた)

手毬唄

「言わず語らぬわが心は」
 
長唄「京鹿子娘道成寺」より取材。安珍清姫伝説の後日談を描いたもので、白拍子に化けた女性の霊が、鐘供養の場に現れて舞を披露するのですが、最終的には本性の蛇体となって鐘に取りつくという舞踊劇です。
壬生六斎ではこのうち前段の一部分、町娘姿の手踊りから毬つき踊りのくだりを抜粋して演目にしています。
舞踊の所作が優雅で、女性的な特色があると伝えます。
長らく途絶えておりましたが、令和4年(2022)に講中の若手が中心となって復曲させた演目でもあります。

海士(あま)

海士

「海士の衣も 差す手 引く手も 成心の前成や」
 
地歌より取材。能でも有名な題材。
大職冠藤原不比等(ふじわらのふひと)の愛を受けて産んだわが子の出世をかけて、恐ろしい龍王や魚介の怪が棲む「龍宮」がある海へと利剣を片手に飛び込み、たった一人で名宝“面向不背(めんこうふはい)の玉”の奪還に挑む海女の物語です。
母の我が子への思いの強さと、それに報いる孝養の大切さを説いた立身出世の曲です。
「面向不背の玉」とは、玉の中に釈迦如来の像があり、どちらから拝んでもそのお顔を見ることができるとされる名宝です。
前段(「オモテ」)と後段(「オク」)の二部から成っています。オモテはカタ打ちの基本を成すと言われます。

巴鼓(はづみ)

巴鼓
 
「稚児から爺まで集まって(チゴカラジイマデアツマッテ)」
 
当講中の会長(原田 一樹)が、どこの六斎念仏の団体でも演じてもらえる様に、と願って作曲した演目であり、賑やかな曲です。
大太鼓を持った者を中心に、その他の演者はそれぞれ太鼓を持って「八の字」の位置に立つところから始まります。
大太鼓は中心で主旋律を叩き続け、その他の者は手に持った太鼓を担ぎその胴を叩きながら時計回りに踊り、立ち止まった時には太鼓の芯を叩いて鳴らします。
大太鼓以外が手に持つ太鼓は必ずしも、豆太鼓である必要は無く、片太鼓やドラなどを使用しても良いことになっています。
先頭を行く対角線上に立った演者同士が位置取りと停止時のリードを行います。曲の始まりと終わりにおいて「八の字」の位置に戻ることが決まりであり、その体を成していれば始まりと終わりの位置が異なっても良いとされています。

太鼓獅子(たいこじし)

太鼓獅子

演目「獅子舞」の前奏曲(獅子を呼び出す前)と後奏曲(獅子が蜘蛛を追い払った後)に使われるものです。
本曲を単独で披露する機会は基本的にありません。
 
内容は、前奏曲の時と後奏曲の時とで異なります。
まず太鼓の演奏法が違い、前者の場合は、太鼓方が中央に寄り尻合わせになったり、X状に入れ替わったり、廻りながら打ったりするなど、変化に富んだ振りを行います。
一方、後者の場合は、太鼓方が獅子を真ん中に挟んで対面したまま、固定の位置で太鼓を打ちます。
 
また、曲自体にも差異があります。この曲は前段と後段から成るのですが、後段は前奏・後奏とも共通しているものの、前段は違う旋律になっています。
前奏の方の前段を「太鼓獅子」、後奏の方の前段を「イチイチ」、そして共通部の後段を「せめ太鼓」と称します。
最も、通例「せめ太鼓」を単独で指し示すことはなく、主として、前奏曲のことを「太鼓獅子」、後奏曲のことを「イチイチ」か「せめ」と呼ぶことが多いです。

獅子舞(ししまい)

獅子舞

獅子が登場し、宙返りやノミ取りの仕草、碁盤乗りなどの芸を次々に披露していきます。
途中、獅子が眠りについたところで金色の打掛を纏い正体を隠した蜘蛛の精が登場し、獅子に悪さをはたらきます。
目覚めた獅子は蜘蛛の精から打掛を剥ぎ取り、その正体を看破します。正体を明かされた蜘蛛の精は大量の糸を撒いて獅子を苦しめます。蜘蛛の糸を巻き付けられ、倒れ込んだ獅子は太鼓方に囃し立てられながら復活。元気に舞い踊ります。激闘の末、獅子に敗れた蜘蛛の精は最後の力とばかりに観客へと向かって豪快に糸を撒きます。この糸の芯に使われている鉛は縁起物であり、三つ集めて財布に入れておくと金運上昇の御利益があるといわれています。本項は近日中に詳しく解説いたします。

結願(けちがん)

結願

「南無阿弥陀仏」
 
演目の最後を締めくくる念仏です。一山打ちの最後に奉納いたします。
「獅子舞」から続いての演奏となり、獅子の退場と入れ替わりに登場する大太鼓を中心に太鼓獅子を務めた者も一緒に演奏をします。
「念仏に始まり念仏に終わる」形式が六斎念仏の体裁であり、この点において芸能六斎と念仏六斎とに変わりはありません。